私達は、午後のボランティアに参加する前の約1時間、
辺りを見て回ることにした。
石巻はこれまでに様々な場所へお伺いさせて頂いたが
東松島市は初めてだった。
・・・と、その前に!
三浦さんに見送られて出発しようとしたら、
こんな可愛いワンちゃん達がお出迎え!
隣の避難所のワンちゃん?と思いつつも、それにしても珍しい犬種だ・・・。
聞いてみると、”災害救助犬(救助犬)”候補生(←ここ大事)なのだそう。
災害救助犬とは、文字通り”災害が起きた際に人間を救助する犬”だが
どんな犬種でもなることができる。
ただし、災害救助犬の資格試験に合格すれば、という話。
今、彼らは試験前なので、”訪問活動犬”として(犬にも色々肩書きがあるのです・・・)
周りの避難所をまわっているとのこと。
(詳しくは、
日本救助犬教会のサイトをどうぞ。)
http://www.kinet.or.jp/kyujoken/index.shtml
それにしても可愛すぎる。名前を聞いたら、茶色いワンちゃんは”ユッケ”
君なら加熱していなくても大丈夫!
そんな訳で、長旅を三浦さんとわんちゃん達に癒されて
改めて東松島市を車で回ることに。
ここは奥松島を代表する景勝の一つ、嵯峨渓がある。
太平洋の荒波と風雨に侵食された絶壁や奇岩の連続は、
女性的な松島湾の景観と対照的に男性的で荒々しさを見せるのだそうだ。
岩手県の猊鼻渓と大分県の耶馬溪と並ぶ日本三大渓の一つとのことで
海岸線は観光客も集まる美しいエリアだったのだ。
しかし、私達が訪れたところは海岸線は瓦礫山が種類別に
高く積まれていた。
車は車、鉄くずなどの瓦礫、一般家庭の瓦礫・・・
私の身長の何倍も高い瓦礫の山達・・・
おそらくその前は全てが渾然一体となって流されて収集つかない状態
だったのだろう。
皆さんの苦労と努力があってここまで来たのだろう。
とはいえ、何度来ても見慣れないこの光景は心が痛んだ。
ただ、今まで石巻・牡鹿半島へばかり訪れていたが
こうして違う地域を訪れることも私にとっては大切な事に思えた。
その後、私達は軽く昼食を済ませて午後のボランティアへ。
長靴や軍手、雨合羽などもしっかり用意。フル装備で受付に向かった。
何だか勝手にテンションがあがってきた。
舞台にせよ、何でも衣装は大事だ。
すると受付場所のあるテントには、既に沢山の方が集まっている。
若い女性、おじさん、ご夫婦、お兄さん、グループで来た方達
1人の方もいたり、皆さん本当にそれぞれ。
各々自分の名前を登録し、(未加入の場合)ボランティア保険に加入する。
(登録だけで、特に費用はかからず、必要事項を書き込むだけ)
するとスタッフの方が「これどうぞ〜!」と小さなパックに入った
ドーナツをくださった。
「いえ、あの、まだボランティア終わってないのですが・・」と言うと
「いいんです。差し入れで頂いたのでどうぞ^^」とのこと。
色んな優しい方がいるんだなぁと思いつつ、この活動が終わってからの
ご褒美にすることにした。
受付が終わると、テント内の椅子に座って次の指示を待つ。
日常とは違うこの光景に、更にギンガムチェックのレインコートに
花柄の長靴という戦闘態勢も加わって(確実に皆さんのカッパ&
長靴スタイルと雰囲気が違う私・・・)テンションが上がりキョロキョロ
している私にプロデューサーから「じっとしているように」と釘を
さされる。確実にさっきの救助犬ワンコの方が落ち着いていた。
すると、男性スタッフの方がやってきて、「すいません!今から側溝の
お掃除とは別に、荷物の仕分け作業という仕事がありまして、
こちらは18時までになるのですが、そっちをやって頂ける方を6名
募集します!どなたがいらっしゃいませんでしょうか?」
とおっしゃった。
今、集まっているのは20名くらい。その中から数名が手をあげた。
通常、ボランティアは午前・午後共に2時間で終わる。
が仕分け作業は5時間だ。
プロデューサーが「こっちの仕事やらない?」と私に耳打ちした。
え?仕分け作業って結構大変なのご存じですか?段ボールあっちこっちやったり、
荷物卸したり、何気に地味にしんどいんですよ。
でも側溝のお掃除は、しんどいけど溝から泥が掻き出されて、
どんどんキレイになっていくのを見る達成感と、「みんなで頑張ったね!」という絆も
生まれそうですよ。それに5時間ですよ。
あなた、さっきまで徹夜で東京から運転してましたよね?実はお互い睡眠不足ですよね?
と、私の心の悪魔ちゃんがつぶやき始めたところに
Pは「そっちの方が色んな人とお話も出来て、この地域の事も把握し易いんじゃないかな。」
と、さらに続けた。
さ、さすが・・・。「そうだね、そうしよう!私もそう思ってたとこ!」(←嘘)
私の浅はかな想いは闇に葬った。
私達が手をあげると、ちょうどこれで6名だった。
「ありがとうございます!それでは、6名の皆さんは合羽や長靴はいりません
ので、脱いできて頂いて5分後にお集まりください〜♪」
のぉおお〜〜っ、なんと!私のギンガムチェック&花柄を脱げとっ!
かなりショック・・・って誰かに見せたいワケじゃないけど・・・。
その後、私達は東松島市にある公共施設へ向かった。
そこには、宮城県の災害ボランティアセンターの方がいらして、
本日の流れをご説明くださった。
「施設内ではマグロ丼の炊き出しが行われます。外の広場の部分で様々な物資を並べ、
これからお越しになる皆さんに選んで持って帰って頂きます。ので、
運ばれてくる荷物の仕分けをお願いします。
避難所の皆さんがお越しになったら、物資の場所の説明や色々お手伝いをして
あげてください。」
来場予定は500名、スタート時間は15時から。
施設の前には大きな自衛隊のトラックが止まっていた。
大量の荷物を載せたそれは広場までやってきて、後ろの扉が開き
どんどん段ボールが積み出された。
ボランティアの男性の皆さん、自衛隊のお兄さん達が次々へと
その段ボールを運び出す。大きいの、重たいの、小さいの、色々だ。
その箱には「男性用靴」や「化粧品」「子供服」等がマジックで書かれているので、
それらをチェックしながら、カテゴリ分けをして一カ所へ集める。
次は、箱を開けて中身を確認。靴などは靴箱がぎっしり入っているので、
サンプル用をひとつ開けて、サイズを表示して展示。
やる事はある意味、学園祭の準備というかフリーマーケット?
ただひたすら、段ボールを開けては並べて表示して、開けては並べた。
結局、12トンの荷物をわずか1時間足らずで、準備が終わった。
ちょっと感動したのが、ボランティアの方々の動きの良さ。
さっきの「今日は〜〜をします!」という説明だけで、
何も担当を決めないまま、皆さんささ〜〜〜っと動いて、
誰ひとりとして「私、何をすればいいですか?」と聞いたり
時間をもて余している人がいなかったことだ。
(私は会社勤めをしていないのでわからないけど、社会人なら
こんな風に動けるのが当たり前なの?)
学生時代そこそこサボっていた私も、さすがにここでは
サボる気にはならなかった(←当たり前)。
段ボールを開けて、可愛い女子用のスニーカーを見つけては
「可愛い〜〜〜!!」と叫んでいた。(←サボってる)
少し落ち着いたころ、私とプロデューサーは東京からの物資・・・
(マックシュプールさんからの女性用衣類、お友だちからの
新品同様のぬいぐるみ、李さんからのエプロン)
も一緒に並べさせて頂けないか、センターの方にご相談した。
センターの方は快諾くださった。
そろそろ15時だ。だんだん人も集まり始めている。
スタッフの集合がかかった。簡単な注意事項を伝えられる。
●「来られた方には整理券をお配りして、その券と引き替えに
大きな袋をお渡しします。その中に物資は入れるようにおっしゃって
ください。いっぱいになると終了。新しい1枚をもらいにいくよう
教えてあげてください」
→つまり、整理券さえもらえたら、どれだか持って帰っても自由。
●「それから、中でまぐろ丼の炊き出しをやっていますが、
まぐろの解体ショーはやっていません。聞かれても“やっていない”と
答えてください。」
→ボランティアセンターの方は大真面目におっしゃっていた。
●「ご老人の方などは、欲しいものを探すのにご苦労されますので
困っていらしたら教えてあげてください」etc、、、、
了解です!
そして、15時になると沢山の方が会場に入っていらした。
そこからは、もはやバーゲンセール状態。
老いも若きも子供もおばあちゃんも(あ、同じ意味だ!)、
一斉に袋に様々な物を詰め込み始めた。
スリッパ、お化粧水セット、トイレットペーパー、ティッシュ
革靴、スニーカー、Tシャツ、サンダルetc…
生活必需品はあっという間に無くなった。
そんな中、特に喜んで頂けたのが、李さんが作ったエプロンだった。
あまりに沢山の方がいらしたので、一部の奥様たちにはちょっと
外れた場所で様々な柄のエプロンをお見せした。
すると、
「わ〜〜!いっぱいあって迷うわねぇ。明るい色で若づくりしちゃ
おうかしら。」
「ポケットがついてて嬉しい!ポケットがないとケータイの置き場所が
なくて困るのよ〜。」
「ねえ、もう一枚もらっていってもいい?」
「エプロンはね、私のユニフォームなのよ。冬は割烹着だけど
夏はエプロン、だから本当に助かる!」etc、、
皆さん、目をキラキラして選んでいらした。
(掲載の了解頂いています)
「全て手作りなんです。神戸の女性が作ってくださったんです。」と
お話すると、「まぁ、ありがたい!」と喜んでくださり、
ものの20分足らずで、30着弱のエプロンは無くなってしまった。
今や、皆さん避難所から仮設住宅に移られた方も多い。
また、電気や水も通り出したこともあり、お料理をするお母さん達には
ぴったりのプレゼントとなった。
今頃、あのエプロンをつけた東北のお母さん達が、台所でお料理を作って
いらっしゃるかと思うと、何だか微笑まずにはいられなくなる。
その頃、会場はオーバーヒート状態。
子供たちも、お母さんが選ぶ物資を袋に詰めては運んだり
頑張ってお手伝いしていた。
仲良し男の子3人組も嬉しそうに、私達が預かったぬいぐるみを
選んでくれていた。
そして、ぬいぐるみと同じくらい可愛い姉妹も!
マックシュプールさんからの女性用衣類、大きな段ボール2箱も
ほとんどが空っぽ。
「もう全部流されちゃったから。」とか、少し古めのものは
「この生地でパッチワーク作らせて頂いちゃってもいいかしら?
とっても素敵な柄だから。今じゃ、まだパッチワークが出来る
状態じゃないんだけど、私、大好きで、いつかと思って生地を
集めているの。」とお話してくれたおばあちゃんもいた。
中には、自分の体の2倍も3倍もある袋を持って駐車場に向かって
いるおばあちゃんもいて、「手伝いましょう」と言って走っていくと
車で迎えにきた息子さんが「こんなに持って帰ってどうするんだよ」
と、ちょっぴり呆れ気味だった(笑)。
自転車に、大きな袋をくくりつけて持ってかえるおじいちゃんもいた。
「孫の分もな。」と言っていた。
時には、新品の革靴を幾つも袋に入れている方もいた。
「うん??」という想いもよぎったが、余計なことは考えないことにした。
梅雨空の下、雨は降っていないものの誰もが元気に物資を取りに
こられるワケではない。代表して大量に持って帰る方もいらっしゃる。
今回の物資のお渡しは、そもそも告知をしていないのだという。
告知されているのは、炊き出しのことだけ。
といっても、特に大々的にアナウンスされているワケでもないらしい。
それでもケータイ等の口コミで、あっという間に長蛇の列になる。
以前、石巻の中心部で物資のお渡しをアナウンスしたら、
500人想定が何万人も集まってしまい、警察沙汰になってしまったと
宮城の災害ボランティアセンターの方が話してくれた。
そういう事が何度かあって以来、告知はせず、炊き出し等と一緒に行い
口コミで持って行って頂くそうだ。
そんなお話を聞くにつけ、個人宅に済んでいるご老人などは、炊き出しを
もらいに行くのも、物資を受け取るのが難しいだろうなぁ・・・と
思ってしまう。
今回の物資は全部で12トン。
宮城県の倉庫にはまだ何十万トンという善意で届けられた物資
があるという。
何十万トン・・・「あ、あの、例えば物資を必要としているNPO団体
にお渡しするという事はなさっていないのですか?」と聞くと
「今はやっていないんです。NPOに渡した物資が避難所の方々に
届いていなかったケースがあったり、特定のNPOの方だけに渡すのも
不公平になる、みたいな事があってストップしてるんです・・・。
でも、もうすぐ自衛隊も撤退してしまうので、このように荷物も
運んで頂けなくなるわけですから、そうも言ってられないと思う
んですよね。
皆さんの善意が本当に申し訳なくて・・要は、人です。最後は人なんです。
決める人が決めてくれなくては・・。」
その方は女性同士だったからか、本音を話してくださった。
最近、何度もこの疑問にぶちあたる。
公平さ・・・公平さって何だろう。
人間の尊厳を大切にする“公平さ”を大事にするあまり
困っている方々が沢山いるってどういうことなんだ?
もうわからなさすぎて、「ドラエも〜ん!」と叫びたくなる。
誰か、ポッケから解決策を出して欲しい。
目の前のほとんどの段ボールは空となり、それらを集めては
つぶして畳む作業へと移っていた。(ここでも皆さん黙々と活動)
ここでの自衛隊さんの活躍もすごかった。日々鍛えられた腕力で
ばこばこと畳んだり、踏みつぶしたりして、ものすごい容積だった
段ボールが布団圧縮機で真空状態になった時のようにペタンコになり
自衛隊のトラックに再び詰め込まれた。
最後にまたみんなで集合して、ゴミ拾い。
「おつかれさまでした!」で一斉解散の運びへ。
「何ならこれから打ち上げします?」というのもなく(ココを何処だと
思っているのか・・・)皆さん、ふつーに各々帰って行かれた。
なんて潔い方々なんだ・・・。黙々と活動して、無駄なおしゃべりはせず
仕事を全うしては帰っていく。
ごくごく当たり前の事なのだけど、何かイベントをすれば
打ち上げ目指して頑張ろう!な業界(あれ、違う?)にいる私にとって
何とも清らかな一瞬だった。
それにしても、私は新鮮な達成感と充実感で満たされていた。
これは極個人的な感想になるのだけれど、
私の仕事というのは「micにお願いして良かった!」と思って頂ける
ことが嬉しく、ひとつのゴールでもある。
だから、「micさんらしく。。」や「いつものmicな感じで」と言って
頂くことも多く、最高にハッピーであると同時に、自分らしさを追求
することも、ひとつの仕事になる。
しかし今回はmicはどうでも良い(笑)。任務を遂行するのに、皆で
協力をすれば良い。誰もが所属も名前も、どこから来たかわからないまま、
“ボランティア”というたったひとつの共通点、今、困っている方々を
少しでもサポートしたいという気持ちだけで、ゴールまで文句ひとつ言わず
頑張る。
正直、以前の牡鹿半島や石巻の時みたいに、何度も御礼を言われたワケではなかった。
それどころか皆さん、物資を持って帰るのに必死(笑)。
でも、終わった後は心から気持ち良かった。
その時、ほっとしている自分がいた。
これまでの活動で、私はひょっとして「ありがたがってもらう」事を
求めているのではないだろうか、という自分への疑問があったからだ。
どこかで「ありがとう」の見返りを求めている自分がいやしないか。
そんな自分と向き合うのがとっても怖かった。
でも、この時は本当にそんなのはどうでもいいと思えた自分がいた。
そんな事よりも、東松島市のボランティアセンターに集まった
ボランティアの方々があまりにも普通に、というか、
「普段は会社なんですけど、週末なので来ました〜」といった感じで
参加されていた事に思った以上に感動してしまった。
私達がこれまでお会いしたのが、先頭に立って活発に活動されている面々
だったから・・・たとえ、全面的に関われなくても出来る範囲でひさい地に
足を運んでいる方々は、まだまだ沢山いらっしゃるのだ。
ボランティアの数は阪神大震災の時よりも少ないという声も聞くけど
こうして色んなところからお越しになっている。
もしまだ、行ってなくて迷っている人がいるのなら
是非行って欲しいと思う。
東松島市だけでなく、石巻、陸前高田、手がたりない所は
いっぱいあるはず。
こんな書き方するのは何だけど、こんな経験はそんなに出来ない。
私はひさい地に足を運ぶことで、初めて社会というものが見えてきた
気がしている。散々、社会的な映画も観ていたのに・・・。
自分なんてひさい地に行っても役に立てないかも・・・って思っている人も
私みたいなちゃらんぽらんでも、きちんと災害ボランティアセンターに
行けば、いいように使ってもらえるので大丈夫(笑)。
もし時間と、気持ちがあるなら、ぜひ行って欲しいと心から思う。
長くなったけれど、もし何かの参考になれば幸いです。
(最後に)
わずかに残った段ボールの中に、本が沢山入ったものが。
自衛隊の方に尋ねると、「これは、ある方が自費出版されて売れなかった
本が寄贈されまして・・・毎回、こうして持っていくんですけど、
3,4人持っていかれる方があるだけで、いつも残るんです。
まぁ腐らないのでいいんですけど、案外一番重たかったりするんですよね・・。」
・・・・・・。
執筆業も仕事にしている私としては、非常にコメントしづらいお答えが。
教訓:自費出版した本の寄付は、よくよく考えましょう(苦笑)。